2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪、男子スノーボードビッグエア決勝。
木村葵来(きむら・きら)選手が金メダル、木俣椋真(きまた・りょうま)選手が銀メダルという、日本勢の歴史的なワンツーフィニッシュで幕を閉じた瞬間でした。
本来なら日本中が歓喜に沸くだけで終わるはずだったこの快挙に、思わぬ「おまけ」がついてきた。
米国NBCの解説者トッド・リチャーズ氏が、マイクの切り忘れで「本当につまらなかった」「予選のほうがずっとエキサイティングだった」と本音をダダ漏れさせてしまったのです。
Hot mic! At the conclusion of the men’s big air snowboard final that I was watching on Peacock, a voice came on and said:
“That was boring. That was so boring. Qualifier was way more exciting.” pic.twitter.com/VfWJ1MiMaf
— Mitch Goldich 🐙 (@mitchgoldich) February 7, 2026
この一言が、ストリーミングサービスPeacockを通じて世界中に生配信。
当然、日本のファンからすると残念な失言ですよね。
Xでは「アメリカは自国が勝てないとつまらない国だな」という声が噴出し、SNSでも炎上という事態に。
ただ、この騒動をよくよく紐解いていくと、単なる「反日発言」とは片付けられない複雑な背景が見えてきます。
彼の失言の裏には、競技の構造問題、米国流のスポーツ観、そしてアジア勢台頭への欧米の微妙な空気感が絡んでいる気がするんですよね。
今回は、この「退屈発言」の真意を多角的に掘り下げてみたいと思います。
目次
米・解説者の「退屈」発言は誰に向けられた?
あの失言は、日本人選手の勝利が気に入らなかったから? それとも、大会全体への不満?
ヤフコメやXで「犯人探し」が盛り上がっていますが、冷静に紐解くと矛先は複数ありそうです。
トッド・リチャーズ氏のX弁明や現地反応も含めて、「退屈」発言の真の標的を探ってみましょう。
トッドリチャーズ
①日本勢の安定した滑りが「刺激不足」だった説
まず浮上するのが、日本勢の滑りが「安定しすぎていた」という皮肉な説。
金メダルの木村葵来選手は、バックサイド1620やスイッチバックサイド1440を完璧に決め、179.50点の圧巻スコア。
銀メダルの木俣椋真選手もミスゼロの堅実な滑りでした。
つまり、日本勢は「完璧」だった。
ところが、この完璧さこそが問題だったのではないかという見方があるのです。
予選は世界のトップ選手が超難技に挑み、成功も転倒も連発で会場は大盛り上がり。
一方、決勝になると優勝候補の選手たちが次々とミスを犯し、結果的に「転ばなかった人が勝つ」展開になってしまった。
言ってみれば、サッカーW杯決勝が0-0でPK戦に突入するようなもの。
勝負は正当だけど、観てる側は「もっと派手に攻めてくれよ」って思いますよね。
ネットでは「日本人の完璧さが退屈に映ったということ?」という議論が交わされていました。
500件超のコメント中、「安定しすぎてエキサイティング不足」との意見も相当数。
日本人としては複雑ですが、「ミスなく勝って何が悪いんだよ」と言いたくなる気持ちはよくわかります。
ここで一つ興味深い視点を挟ませてください。
ビッグエアは空中回転数が鍵を握る競技。
物理的に、小柄で軽い選手のほうが回転効率は圧倒的に有利なのです。
体操やフィギュアスケートと同じ原理で、体を軸に引き寄せたときの加速力が大柄選手とは段違い。
日本勢は欧米選手と比べてコンパクトな体格の選手が多く、この物理的アドバンテージが安定した回転を生んでいたのかもしれません。
この体格差が「ミスなし、でも予測可能」な展開につながったのだとすれば、リチャーズの「退屈」は悪意というより、物理法則への八つ当たりだった可能性すらあるわけです。
正直、これにはちょっと苦笑してしまいますが。
②米国代表のオリバー・マーティンが負けた悔しさ説
次はシンプルに「自国選手負けの悔しさ」説。
米国代表オリバー・マーティンは17歳のホープで、表彰台を十分に狙える実力の持ち主。
しかし着地ミスが出て4位、メダルにあと一歩届かなかった。
ここで思い浮かぶのが、アメリカのスポーツ中継の特徴です。
NBCの五輪放送は研究でも「自国選手を3〜4倍強調する」と指摘されるほど、アメリカ・ファースト全開の編集で知られています。
自国メダルなら大騒ぎ、獲れなきゃテンション急落。
日本のテレビも多少はその傾向がありますが、NBCは段違いに露骨だと言われてきました。
ヤフコメでも「米国選手が負けた苛立ちでしょ」という意見が最多で、これはかなりの説得力があります。
Xでも「Martinのポテンシャルは本物なのに」と悔しがるアメリカのファンの声が多数投稿されていました。
つまり、「退屈」の正体は自国の金メダルが奪われた悔しさの無意識な漏出だった可能性が高いのです。
しかも表彰台を見渡せば、金銀が日本、銅が中国の蘇翊鳴(スー・イーミン)選手で、アジア勢がトップ3を独占。
欧米選手がゼロという事実は、「白人が主役」とされてきた冬季五輪の世界に大きなインパクトを与えたはずです。
リチャーズのX弁明は「選手の努力とは関係ない、全体の流れが退屈だっただけ」とのことですが、これがかえってツッコミを呼んでいるのだから皮肉な話。
「全体の流れが退屈」と言われても、「じゃあ具体的に何が不満だったの?」と突っ込みたくなるのは、私だけではないでしょう。
③ジャンプ台が低く大技が出にくい環境への不満説
三つ目は選手じゃなく「ジャンプ台」への不満説。
今大会リヴィーニョの台は過去の大会と比べて高さが足りないのではないかという指摘が、現地からも上がっていました。
Xのイタリアユーザーからは「台が低すぎてジャンプが控えめ」「天候の影響でエキサイティングさに欠けた」という声が複数確認できます。
ビッグエアのジャンプ台は、高いほど空中に長く滞在でき、より多くの回転やアクロバティックな大技が可能になります。
逆に低めだと滞空時間が短く、無理をすれば着地ミスのリスクが跳ね上がる。
結果、安全策ばかりになって予選のような超高難度チャレンジが激減してしまった。
マラソンコースの激坂で誰もペースを上げられないレースと似たような構図で、これは選手より運営設計の問題なのかもしれません。
ヤフコメでも「選手は悪くない、台が悪い」という運営批判はかなりの共感を集めていた模様。
面白いのは、このジャンプ台問題でも先ほどの体格差が絡んでくること。
小柄な選手は低い台でも安定した回転ができるのに対し、大柄な欧米選手はパワーを活かしきれず不利になりやすい。
つまり、ジャンプ台の設計が無意識に「小柄な選手に有利」な環境を作っていた可能性があるのです。
ただ、IOCの公式見解は「台は国際基準を満たしている」というもの。
選手インタビューでは台への不満がチラホラ漏れていたようですが、大々的に報じたメディアはほとんどなし。
NBCも運営批判はスルーして、リチャーズの「boring」発言だけが一人歩きしてしまいました。
もし彼の不満の本質がジャンプ台に向けられたものだったなら、メディアの文脈切り取りを示す典型的な好例と言えます。
発言の一部だけが拡散され、背景や文脈がすっぽり抜け落ちる現象は、SNS時代の報道がいかに危ういものかを物語っているのではないでしょうか。
トッド・リチャーズは親日家?過去の平野歩夢への神対応
ここまでで「結局、反日暴言でしょ」と思った人もいるかもしれません。
でもちょっと待ってください。
このトッド・リチャーズという人物、つい4年前は日本のネットで「神」扱いされていた男だったのです。
話はそう単純じゃありません。
2022年の北京冬季五輪、男子スノーボードハーフパイプ決勝。
日本の平野歩夢選手が2回目のランでトリプルコーク1440を含む史上最高難度のルーティンを成功させました。
誰が見ても金メダル級の完璧な滑り。
なのに出た得点は、まさかの91.75点という低スコア。
会場は騒然、日本のファンは唖然。
あの瞬間、NBCのリチャーズが爆発したのです。
「judges grenaded their credibility(ジャッジは自分たちの信頼性を爆破した)」「I am irate(激怒している)」。
生放送で感情をむき出しにするのは異例中の異例。
平野歩夢の海外の実況おもしろ
アメリカが二回目の採点に早口でキレまくった後、三回目で金メダル確定して「ジャスティス!!」ってシンプルに叫ぶの好き— とみや (@MadolcheNights) February 14, 2022
彼は元プロスノーボーダーで、1998年の長野五輪にもハーフパイプ米国代表として出場した経験を持つレジェンド。
採点競技の裏側を知り尽くしているからこその、本気の怒りでした。
結局、平野選手は3回目のランで96.00点を叩き出して逆転金メダル。
リチャーズは「Justice!」と叫んで一件落着となりました。
この一連の出来事は日本で大きく報じられ、彼には「ジャスティスおじさん」という親しみあふれるあだ名が定着。
「アメリカ人なのに日本選手のために本気で怒ってくれた」と、日本のスノーボードファンの間で一躍ヒーローになった存在。
SNSには感謝メッセージが溢れ、「本物のスポーツマンだ」と称賛の嵐だったのです。
だからこそ今回の「退屈」発言は衝撃が大きかった。
4年前にあれほど味方してくれた人が、日本勢のワンツーフィニッシュを「つまらない」と言い放ったのだから、裏切られた感覚になるのも無理はありません。
Xでは「神から敵に転落」「あのジャスティスおじさんが?」という落胆の声が数千件規模で投稿されていました。
では、なぜ彼は一転したのか。
冷静に整理すると、北京五輪のときと今回とでは決定的な違いが一つあります。
北京のとき、アメリカの選手はハーフパイプでメダル争いの中心にはいなかった。
つまり、リチャーズが平野選手を擁護しても自国選手との利害が衝突しなかったのです。
ところが今回は、17歳のマーティン選手が4位に沈むという自国の悔しい負けがある中での発言。
いくら「選手とは関係ない」と弁明しても、この文脈で「退屈」と漏らしてしまえば、受け取られ方は想像がつきます。
もちろん、リチャーズに人種差別的な意図があったとは考えにくい。
過去の言動を見れば、競技の「面白さ」を純粋に追求するタイプの人間であることは間違いないでしょう。
ただ、その「面白さ」の基準が、無意識のうちに欧米的なダイナミズムに偏っていた可能性はあります。
高身長でパワフルな選手の豪快ジャンプを「exciting」と感じ、小柄な選手の完璧な回転には物足りなさを覚える。
そうしたズレが失言の根っこにあるなら、これは個人の問題を超えた、欧米スポーツメディアの構造的なバイアスの問題と言えるかもしれません。
ちなみに、NBCはこの件で公式謝罪を出していません。
内部対応にとどまっているとされ、契約関係が謝罪を抑制しているとの見方もあります。
USA Todayは「ホットマイクが五輪をスパイスアップした」とハプニングを楽しむような論調。
日本メディアが「大失言」「放送事故」と厳しく報じたのとは温度差が歴然です。
同じ事件なのにここまで評価が分かれるのは、国際スポーツ報道の難しさを象徴する光景と言えるでしょう。
失言騒動で見えたスノボ日本勢の新たな壁
この騒動は、一人の解説者の失言じゃ終わらない。
スノーボードの文化的アイデンティティの問題、そしてアジア勢がこの先直面するかもしれない「見えない壁」が透けて見えています。
最後に、日本のスノーボード界が世界を本当の意味で黙らせるために何が必要なのかを考えてみます。
そもそもスノーボードは、アメリカの西海岸やコロラドのストリートカルチャーから生まれたスポーツ。
サーフィンやスケートボードの延長線上にあり、「カッコよく、自分らしく滑る」が原点にあります。
だからアメリカのスノーボード文化では「スタイル」が何より重視されてきました。
回転数だけでなく、空中での体の伸ばし方、ボードのグラブ(掴み方)の美しさ、着地の余裕。
いわば「粋な滑り」こそが最高の価値という世界観。
一方、日本のアプローチは「技術を極めて、確実に結果を出す」スタイルが主流。
ミスを最小限に抑え、高難度の回転を正確に決めて得点を積み上げていく。
柔道や体操で培われてきた「型の美学」に通じるものがあるのかもしれません。
どっちが正しいという話じゃなく、スノーボードに対する哲学がそもそも違うのです。
リチャーズの「退屈」発言の底流には、まさにこの価値観の衝突がある。
アメリカ人の目から見れば、正確な回転と安全な着地を繰り返す滑りは体操の演技を見ているようなもの。
かつてストリートで生まれた「自由でワイルドなスポーツ」が、オリンピックという巨大な枠組みの中で「効率よく得点を稼ぐ競技」に変質してしまった。
あの決勝がその変質を象徴する光景だったのかもしれません。
ここで気になるのが、過去に何度も繰り返されてきた「日本が強すぎると、ルールが変わる」というパターン。
最も有名なのは柔道です。
日本のお家芸であった足取り技への制限が2010年代に厳格化され、立ち技での一本を重視するルール改正が行われました。
公式には「安全性と見栄えの向上」が理由とされていますが、日本の関係者の間では「日本の強さを削ぐための改正だ」との見方が根強い。
スキージャンプでも、日本勢が無双していた時代にスーツ規定が厳格化され、軽量選手に不利なルールが導入された歴史があります。
スノーボードでも同じことが起きる可能性はゼロとは言い切れません。
アジア勢の表彰台独占が続けば、「スタイル点の比重を上げる」「ボードの長さや重量に体格連動の制限を設ける」といったルール変更が議論されることは十分にあり得るでしょう。
表向きは「多様性を守る」「エンターテインメント性の向上」という名目になるのでしょうが、裏で誰が得をするかを考えれば意図は見えてくる。
Xでも「柔道の二の舞になるのでは」という投稿は少なくありませんでした。
では、日本のスノーボード界はどう対抗すべきなのか。
一つの答えは、技術的な完璧さに加えて、誰もが認めざるを得ない「エンターテインメント性」を身につけること。
回転の精度はそのままに、空中でのグラブの美しさや、着地後のパフォーマンスなど、「観る人を魅了する要素」を意識的に磨いていく。
つまり、「勝つ」だけでなく「圧倒する」ことで、ルール変更の口実すら与えないという戦略です。
実際、スノーボードの世界では「技術とスタイルの融合」こそが最高峰だという認識があります。
ただ回転数が多いだけでなく、その回転に独自の「味」がある選手は、採点でも観客の心でも別格の評価を受けるもの。
日本勢がこのハイブリッドなスタイルを確立できれば、リチャーズのような論客も黙らせることができるでしょうし、ルール改正の圧力に対する最強の防御にもなるはず。
金メダルの木村葵来(きむら・きら)選手はまだ若く、伸びしろは計り知れません。
銀メダルの木俣椋真(きまた・りょうま)選手も含め、日本のスノーボード界は今、史上最も輝いている時期を迎えていると言っていいでしょう。
この勢いを一過性のもので終わらせないためには、メダルを獲るだけではなく、世界中の観客が思わず立ち上がるような「魅せる滑り」への進化が求められます。
最後にリチャーズのことをもう一度振り返っておきます。
彼は4年前、不当な採点に怒りの声を上げた「正義の人」でした。
今回の失言は褒められたものではありませんが、競技への愛情から漏れた本音だったのだろうとも思います。
次の冬季五輪で日本勢が再び表彰台に立ったとき、彼が心の底から「That was amazing!」と叫ぶ日を、一ファンとして楽しみにしています。
そのとき初めて、日本のスノーボードが世界を「退屈させない」レベルに到達した証になるのでしょうから。





