日大三高の野球部で起きた不祥事が連日報じられるなか、注目が集まっているのが野球部を率いる監督の存在です。
甲子園の常連校であり、プロ野球選手も数多く輩出してきた名門を指揮しているのが、三木有造監督。
「どんな人なの?」「いつから監督なの?」という疑問を持った方も多いのではないでしょうか。
四半世紀以上にわたり日大三高のグラウンドで野球に携わってきた、生粋のたたき上げです。
今回は、三木有造監督の年齢や経歴、そして家族のことまで、報道や公開情報をもとに整理していきます。
野球部の監督の三木も
この件知ってたでしょ正直?被害者1人の児童ポルノ事案よりも、
学校のブランド名守ろうとしたんだよなお前— あおい みゆ (@japan_miyu_) February 14, 2026
X上では上記のように、監督の責任を問う声も出ています。
部内で半年間にわたり動画が拡散されていた事実を考えると、指導者が本当に何も把握していなかったのかという疑問が浮かぶのは自然なことでしょう。
もちろん、現時点で監督が事件に直接関与していたという報道はありません。
ただ、管理責任を問われる立場にあるのは間違いなく、今後の調査や学校側の説明が待たれるところです。
目次
三木有造監督は今、何歳なの?
まず気になるのが、三木監督の年齢ですよね。
結論から言うと、2026年2月時点で51歳です。
1974年5月23日生まれなので、指導者として経験を重ねた世代と言えるでしょう。
出身は和歌山県で、現在は東京都多摩市にお住まいとのこと。
和歌山から上京して、そのまま日大三で野球人生を歩んできた方なんです。
周囲の評判を見ると、「感情を顔に出さないが秘める思いは強い」「無口な兄貴分」といった声が多い。
派手に前に出るタイプではなく、口数は少ないけど芯がブレないという印象で語られることが多いようです。
ただ、今回の不祥事を受けて、その「静かさ」がかえって「何も言わない、何もしない」という批判に転じてしまっている側面もあります。
指導者としての手腕と、管理者としての責任は別の話。
その両面が今まさに問われている状況だと言えるでしょう。
三木有造監督の経歴
ここからは、三木監督がどんな道を歩んできたのかを整理していきます。
経歴を追っていくと、「挫折」と「継承」という二つのキーワードが見えてくるんです。
和歌山から上京、そして日大三へ
三木監督は和歌山県出身ですが、家族で上京しています。
そして中学から日本大学第三中学校に入学。
高校もそのまま日本大学第三高等学校へ進学しました。
つまり、中学・高校と6年間、日大三で野球漬けの日々を送ったわけです。
その後は東洋大学へ進学し、1999年に卒業。
大学4年の時点で、すでに指導者の道を志して教員免許を取得しています。
学生時代から「野球を教える側に回りたい」という明確なビジョンを持っていたということになります。
選手時代の挫折が指導者への道を開いた
野球を始めたのは小学2年生の時。
兄の影響で野球にのめり込み、どんどん実力をつけていきました。
高校時代は日大三の捕手で4番という、チームの中心を担うポジション。
強豪校の4番キャッチャーですから、相当な期待を背負っていたはずです。
しかし、ここで大きな壁にぶつかります。
甲子園出場が叶わなかったのです。
強豪校の4番を打ちながら、夢の舞台には届かなかった。
この悔しさが、のちに指導者としての原動力になっていったと言われています。
そして大学では、さらに厳しい現実が待っていました。
肩の故障です。
捕手にとって肩は命ですから、これは致命的な問題でしょう。
しかも同級生には、元阪神の今岡誠さんなど圧倒的な実力を持つ選手がいた。
その中で、三木監督は選手としての限界を痛感したそうです。
ただ、そこで腐らなかったのがこの人の強さだったのかもしれません。
「選手としてダメなら、指導者として恩返しをしよう」と方向転換を決意したのです。
1999年、運命のコーチ就任
大学卒業を控えた頃、三木監督に転機が訪れます。
中学時代の恩師の紹介で、小倉全由監督と出会ったのです。
初対面にもかかわらず、小倉監督から「練習を手伝ってくれよ」と声をかけられたそうで、この出会いがすべての始まりでした。
1999年、三木監督は日大三高のコーチとして現場に入ります。
ここから四半世紀を超える日大三での日々がスタートしたわけです。
2011年には野球部部長に就任。
小倉監督の右腕として、チームを支え続けました。
そして2023年4月、ついに監督に就任します。
実は、三木監督は当初「小倉前監督と一緒に退くつもり」だったと語っています。
しかし周囲の説得を受けて、継承を決意した。
このあたりに、三木監督の謙虚さと責任感が見て取れます。
ただし皮肉なことに、その「責任感」が今回の不祥事ではまったく別の意味で問われることになってしまいました。
三木有造監督の実績
ここからは三木監督の実績を見ていきましょう。
「名監督の後を継いだだけ」という声もあるかもしれませんが、数字はそれを否定しています。
三木監督は、結果でもしっかり示してきた指導者です。
コーチ・部長時代の功績
まず、コーチと部長として過ごした約24年間。
この期間、小倉監督を支え続け、甲子園優勝2回に貢献しています。
表舞台に立つのは監督ですが、裏方として勝つための土台を整え続けた。
選手の細かいポジショニング、試合中の采配サポート、練習メニューの調整。
こうした「見えない部分」を地道に積み重ねてきた人であることは確かでしょう。
監督就任後の戦績
そして、監督としての戦績がこちらです。
2023年夏:就任1年目で西東京大会優勝、夏の甲子園出場(3回戦敗退)
2024年夏:西東京大会準優勝
2025年夏:甲子園準優勝
就任1年目で甲子園出場、そして2025年夏には甲子園準優勝まで到達。
長年の積み重ねがあったからこそ出せた結果であることは間違いないでしょう。
ただ、その輝かしい実績の裏側で、部内では不適切な動画の拡散が行われていたという事実。
グラウンド上の結果がどれだけ素晴らしくても、選手の人間教育という面で見過ごされていたものがあったのではないか。
そうした疑問が突きつけられているのが、今の現実です。
三木有造監督の家族について
経歴や実績とは別に、三木監督の人となりが見えるのが家族に関するエピソードです。
20年近い交際を経て結婚
三木監督は2019年頃に結婚されています。
注目すべきは、20年近い交際期間を経てのゴールインだということ。
野球優先の生活で「半年会えない時期もあった」そうですが、それでも支え続けてくれた奥さんに対して「感謝しかない」と語っています。
5歳の息子・琉真くん
三木監督には長男の琉真(りゅうま)くんがいます。
2025年時点で5歳。
父の特注ユニホームを着てアルプス席から応援してくれるそうで、試合後のねぎらいの言葉が「とうちゃん、おつかれやま!」なんだとか。
三木監督自身、息子との時間が束の間の休息になっているようで、「練習より疲れる」と笑っていたそうです。
家族との温かな日常がある一方で、今回の事件によって監督としての立場が厳しく問われる状況に置かれている。
そのギャップを思うと、事態の深刻さが改めて伝わってきます。
小倉全由前監督とのエピソード
三木監督を語るうえで外せないのが、小倉全由前監督との関係です。
日大三高の事件結構ショックだな、、
小倉監督時代から寮生活からしっかりやってる印象だったのにこういうことが起きるなんて、もう処罰を相当重いものにせんと本当に不祥事はなくならんよ
「わるさ」ではなく「犯罪」だよね
最低でも当該部員の退学、部全体として1年の活動禁止— きなこ (@carp_sff5161) February 12, 2026
運命的な出会いから始まった師弟関係
先ほども触れましたが、三木監督と小倉監督の出会いは1999年。
中学時代の恩師の紹介がきっかけで、初対面で「練習を手伝ってくれよ」と声をかけられた。
この一言がすべての始まりでした。
コーチとして活動を始め、2011年には部長に。
小倉監督は三木監督に厚い信頼を寄せ、試合中のポジショニング指示などを一任するほどだったそうです。
監督が現場の采配を部下に任せるというのは、よほどの信頼関係がなければ成り立ちません。
忘れられない敗戦のエピソード
二人の関係を象徴するエピソードがあります。
2006年の西東京大会決勝、早稲田実業との一戦です。
相手エースは、あの斎藤佑樹さん。
この試合で、三木監督の守備位置の指示が裏目に出て逆転を許してしまいました。
試合後、三木監督は小倉監督に謝罪します。
しかし小倉監督は、「いいよ、いいよ」と返したそうです。
この寛大さが、かえって三木監督に強い責任感を植え付けた。
「あの時の失敗を二度と繰り返さない」という思いが、細やかな采配につながっていったと言われています。
「三木らしくやれよ」というバトン
2023年、小倉監督が定年で勇退。
バトンを渡す際に言われた言葉が、「三木らしくやれよ」だったそうです。
「俺のマネをしろ」ではなく、「お前らしくやれ」という言葉。
そこに込められた信頼と期待の重さは、計り知れないものがあったでしょう。
方針面では小倉監督の「練習は嘘をつかない」を引き継ぎつつ、三木監督は「ガッツ、気合、根性」という自身の信念を重ねています。
「小倉と二人で指導していた時から母校を率いるつもりで向き合ってきた」という三木監督自身の言葉からも、日大三への愛着の深さがうかがえます。
しかし今、その愛着を注いできたチームが、かつてないほどの危機に直面しています。
「三木らしくやれよ」というバトンの重さは、今まさに別の意味で試されているのかもしれません。
まとめ
最後に、この記事のポイントを整理しておきます。
年齢は51歳(2026年2月時点)。
1974年5月23日生まれで、和歌山県出身です。
経歴は、中学・高校と日大三で過ごし、東洋大学卒業後の1999年から日大三のコーチに就任。
2011年に部長、そして2023年4月に監督へ。
実に四半世紀以上を日大三のグラウンドで過ごしてきた人です。
選手時代は、甲子園出場を逃し、大学では肩の故障で挫折を経験しています。
その悔しさが指導者としての原動力になり、監督就任1年目で甲子園出場、2025年夏には甲子園準優勝という結果を残しました。
家族は、20年近い交際を経て結婚した奥さんと、5歳の息子・琉真くん。
小倉全由前監督との師弟関係は、1999年の出会いから24年間にわたって続いたものです。
グラウンド上での実績は文句なしと言っていいでしょう。
しかし、その足元で起きていた部内の問題を防げなかった――あるいは把握していなかった――という点は、指導者として重く受け止めなければならない部分です。
三木監督がこの危機にどう向き合い、どんな言葉を発するのか。
名門校の再建は、まさにここからが正念場なのではないでしょうか。
日大三高の件は残念だな、甲子園夏準優勝、秋都大会4強で、三木監督が小倉監督からいい感じで受け継がれてたのに。部員全員を管理するのは難しいな。高校の指導者もSNSの勉強して部員に教育する時代だよな、年配だからわからない、知らないは通用しない。#日大三高 #高校野球
— はらです (@rj8mcEETjLd9CVW) February 12, 2026





