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北海道芸術高校は栗田和明の件でなぜ謝罪しない?相談放置が酷すぎる…

北海道芸術高校札幌サテライトキャンパス
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2026年2月20日、札幌地裁が下した判決は、多くの人の胸に重くのしかかりました。

元高校講師で漫画家・山本章一氏(本名:栗田和明)が、講師時代に教え子へ3年間にわたって性的加害を繰り返し、1100万円の賠償を命じられたこの事件。

加害者への怒りはもちろんのこと、出版社・小学館の対応への批判も連日SNSを騒がせてきましたよね。

でも、ちょっと待ってください。

この事件が起きた「現場」、つまり北海道芸術高等学校札幌サテライトキャンパスについて、みなさんはどれだけ注目してきたでしょう。

被害女性が判決後の会見で「誠心誠意の謝罪がほしかった」と涙ながらに訴えたあの場面、覚えていますか。

その言葉はまず誰に向けられたものだったのか。

加害者本人への怒りはもちろんとして、学校への想いも確かにあったはずです。

それなのに、2026年3月2日現在、北海道芸術高校からは謝罪も、調査発表も、再発防止策の表明も、何も出てきていません。

学校法人恭敬学園・北海道芸術高校の公式サイトおよびXアカウントに事件関連の発信は一切なく、保護者向け説明会の開催情報も確認できない状況です。

小学館は謝罪声明を出し、調査委員会を立ち上げました。

日本漫画家協会も業界全体の問題として声明を発表しました。

なのに、被害が生まれた教育の現場だけが、静まり返っている。

この記事では、その「静寂」の正体に迫ります。

学校がなぜ動かないのか、現場では何が起きていたのか、そして今後どこを見ていくべきなのかを、一緒に考えていけたらと思います。

栗田和明事件で北海道芸術高校が謝罪しない理由

被害女性が「誠心誠意の謝罪がほしかった」と公の場で訴えた言葉は、判決後のニュースを読んだ多くの人の胸に刺さったはずです。

でも、学校側からのレスポンスはゼロでした。

公式サイトを見ても、事件への言及は一切ありません。

Xアカウントにも関連投稿は存在しない。

保護者向けの説明会が開かれたという話も聞こえてきません。

判決から約10日が経過した3月2日時点でも、学校側からの追加コメントはゼロのままです。

被害女性の会見動画がXで拡散され続けている中、学校の対応は変わらず沈黙。

Yahoo!コメント欄などでは「教育機関としての倫理観はどこへ行ったのか」「被害者を二重に傷つける無責任さだ」という声が多数並びました。

正直、その怒りはもっともだと感じます。

では、学校はなぜ謝れないのか。

学校が沈黙を続ける最大の理由は、民事判決の内容にあります。

2026年2月20日の札幌地裁判決では、山本章一氏個人への1100万円賠償命令が下された一方、学校法人恭敬学園への請求は棄却されました。

判決文には「男性の不法行為は授業などと関連しない日時・場所で行われ、法人の事業と密接に関連しない」と記されています。

つまり、法的に言えば「学校の責任ではない」という結論が出てしまったわけです。

これが学校にとって「免罪符」になっているのでしょう。

謝罪すれば責任を認めたとみなされる可能性がある。

追加訴訟のリスクが生まれるかもしれない。

在校生や学校のブランドへの影響も懸念される。

そういった消極的な防衛本能が、沈黙という判断を生んでいるように見えます。

ただ、法的な責任と人道的な責任は、まったく別の話ではないでしょうか。

原告側の弁護士は「学校は加害教員に何の指導もしていない」と明確に批判しています。

被害女性は在学中、学校に相談を試みていたと伝えられています。

教育機関が未成年の生徒を守る義務は、判決文の有無に関わらず存在するはずです。

通信制私立高校という特性も、この沈黙を可能にしている側面があります。

公立高校であれば、教育委員会からの指導や行政の介入が起きる可能性が高い。

でも私立の小規模校は、外部からのプレッシャーが圧倒的に少ない。

メディアの注目が「小学館という大出版社」に集中している今、地方の小さな通信制高校への追及は後回しにされやすい構造があります。

法的には問題なしという盾に隠れながら、人道的な対応を放棄している。

それが、北海道芸術高校の現在の姿と言えるかもしれません。

 

※追記

北海道芸術高等学校が「校長」名義で謝罪文を公表。

しかし、この学校を運営する学校法人恭敬学園の理事長坂井直樹氏の名前は出さず。

 

北海道芸術高校の事件現場で何が起きていたのか?

学校の沈黙が続く理由はわかりました。

では実際に、事件が起きていたあの現場では何が起きていたのか。

裁判資料や告発記事から浮かび上がってくる「内側」の話を、できる限り丁寧に整理してみます。

被害者側が主張する「相談放置」の真実

まず前提として、この「相談放置」については、被害者側が強く主張しているものの、公式証拠として確定した事実ではないという点をお伝えしておく必要があります。

報道・判決・ネット上の情報を総合すると、「主張として強く存在するが、学校記録や複数の独立した証言による裏付けはない」という状況です。

それを踏まえたうえで、被害者側の主張を見ていきましょう。

被害女性の弁護士は複数の会見の場で、こう明言しています。

「複数の生徒が栗田氏による性的被害を学校に相談していたが、一切対応されなかった」と。

被害女性本人も「学校に相談したが何もしてくれなかった」「他の生徒からも同じような話が出ていた」と証言しているとされています。

2026年2月27日に公開された元マンガワン作家・江野朱美さんのnoteでも、「学園へ相談していたが対応されず」という内容の記述があります。

Xでも複数のアカウントが「生徒から相談を受けていたのに放置した」と拡散しており、5chやまとめサイトにも同様の投稿が並んでいます。

では、学校側はこれに対してどう反論しているのか。

答えは「何も言っていない」です。

公式な反論も釈明も、一切公表されていません。

また、札幌地裁の判決においても、相談放置の有無そのものは争点にならず、具体的な認定はされていません。

つまり「あった」とも「なかった」とも、裁判所は判断を下していないのです。

それでも、弁護士という立場の人間が公式の場でこれだけ明確に主張し、学校がそれを放置し続けているという状況は、相当に重い意味を持つのではないかと感じます。

学校の沈黙が、疑念をどんどん大きくしているのは間違いありません。

栗田和明が生徒に接触しやすかった学内構造

どうして3年間もの長期にわたって、こんな加害が続いてしまったのか。

そこには、北海道芸術高校という学校の構造的な問題が深く関わっているように思えます。

この学校は通信制で、生徒の登校頻度はおよそ週1〜2回。

スクーリング中心の学習スタイルのため、講師と生徒が日常的に顔を合わせる機会は多くありません。

栗田和明氏はデッサン講師として週1コマ程度の非常勤勤務だったと推測されています。

正規の授業時間以外に生徒と接触しても、それが「私的なつき合い」として学校の管理範囲外になりやすいという盲点があったわけです。

加害の入り口は「漫画の裏話を教えてあげるよ」という誘い文句と、LINEの交換でした。

高校生の女の子に漫画家が個人的に声をかけてくれる。

自分の悩みを聞いてくれる大人がいる。

家庭に問題を抱えていた少女にとって、それがどれほど魅力的に映ったか、大人になってから振り返れば容易に想像できます。

LINEの交換を講師と生徒の間で禁止するルールがあったのかどうか、放課後や休日の学校外での接触をどう管理していたのか、こういった基本的な情報さえ、学校から一切開示されていません。

江野朱美さんのnoteでは、学校の雰囲気についてさらに衝撃的な指摘があります。

「今日もJKとLINE交換した」「今日は生徒と肩を組んだ」などとSNSに投稿する教員がいた、というのです。

これが事実であれば、栗田氏の行為が異常なこととして周囲から認識されにくい環境が存在していた可能性を否定できません。

一人の教員が特別に悪質だったというよりも、そもそもの「線引き」の感覚が、この学校では普通と違っていたのかもしれません。

 

事件後に沈黙を貫く理由を考察

判決が出てから2週間以上が経過した現在も、学校の公式対応はゼロのままです。

この沈黙の理由として考えられることは、いくつかあります。

まず「謝罪=責任の承認」という論理です。

たとえ人道的な謝罪であっても、それが法的な責任を認めたと解釈されるリスクを、学校側の顧問弁護士などが懸念している可能性は十分あります。

なお、3月2日現在、栗田側は控訴の方針とも伝えられており、控訴審での再検証を見据えて余計な言質を与えたくないという判断があるのかもしれません。

次に、小規模私立法人としての体力の問題です。

大企業なら広報部門が危機管理の対応をとれますが、地方の小さな学校法人にはそういった機能が整っていないことが多い。

「何を言えばいいのかわからないから黙っている」というのも、正直な部分としてあるのかもしれません。

そして最も根本的な問題として、この学校では「被害者を守る」という発想そのものが機能していなかった可能性があります。

相談があっても動かなかったとされること、他の教員の不適切な行動も黙認されていた可能性があること、そういった組織文化の中では、判決後に「誠実に向き合う」という選択肢が浮かんでこないのかもしれません。

沈黙の本質は、能力の問題ではなく意識の問題なのではないかと思えてきます。

控訴期限(3月下旬頃)が迫る中、学校が新たな声明を出さない限り、被害女性の「誠心誠意の謝罪」は届かないままです。

ネットでは「判決で終わりにするつもりか」との声が強まっています。

北海道芸術高校は普通じゃない?

「先生と生徒の自由な感情を許容していたのか」という声がネット上に広がっています。

これはかなり過激な言い方ですが、その疑問が生まれる背景には、一定の根拠があります。

公開されている情報を整理していくと、単に「一人の悪い講師がいた」という話では収まらない何かが、この学校には漂っていたように見えてくるのです。

未成年生徒への私的接触を防げなかった管理体制

グルーミングというのは、性的な目的を持った大人が子どもの信頼を少しずつ積み上げていく手口のことです。

栗田氏のやり方は、「漫画の話」から始まって「家庭の悩みの相談相手」になり、「送迎してあげる」という流れで接触を増やし、気づいたら逃げられない関係になっていた、という典型的なプロセスでした。

このプロセスが3年間も続いたということは、どこかの段階で「おかしい」と気づいて止める機能が、学校の中に存在しなかったということを意味します。

講師と生徒のLINE交換に対するルールが明確だったのか。

授業外での二人きりの接触についての規定があったのか。

生徒からの相談を受け付け、適切に処理するシステムが機能していたのか。

これらすべてについて、学校から情報が出てきていません。

何もなかった可能性がありますし、あったとしても機能していなかった可能性があります。

通信制というスタイルは、今の時代多くの生徒に選ばれる柔軟な選択肢です。

でも、登校頻度が低いからこそ、生徒一人ひとりへのケアや安全管理は、より意識的に行わなければならないはずです。

その意識が、この学校に十分あったとは言いにくい状況です。

教員による「JKとLINE」自慢が許される環境

江野朱美さんのnoteで明かされた「他の教員のSNS投稿」の話は、この事件全体の中でもとりわけ見過ごしにくい部分です。

「今日もJKとLINE交換した」と自慢げにSNSへ投稿できる教員がいる。

「今日は生徒と肩を組んだ」と書いて何も問題にならない。

こういう感覚が学校の中で「普通」として流通していたとすれば、栗田氏の行為がエスカレートするまで誰にも止められなかった理由が、少し見えてきます。

電車に例えると、信号が壊れているのにそのまま走り続けているようなものです。

止まるべき仕組みがなければ、暴走は止まらない。

個人の悪意に加えて、それを止めるべき組織の「ブレーキ」が機能していなかったとしたら、これは個人の問題ではなく環境の問題です。

この情報はあくまで江野さんのnote内の証言であり、具体的な教員名や画像の証拠が公開されているわけではありません。

ただ、これが事実無根であれば学校側が否定するはずで、現状では沈黙しか返ってきていない。

その沈黙が、かえって疑念を深めているのではないでしょうか。

 

刑事不起訴を盾にした無責任な教育姿勢

栗田和明氏は2020年、児童ポルノの製造で罰金30万円の略式命令を受けました。

ただし、3年間にわたる性行為そのものについては刑事不起訴となっています。

「合意があった」という加害者側の主張が通った形ですが、相手は当時15歳の少女です。

15歳と50代の教師の間に、対等な「合意」があり得るのかという問いは、民事判決でも明確に否定されました。

裁判所は被告は原告の判断能力の未熟さ、自己肯定感の低さ、家族との葛藤に便乗し、優位な教師の立場を利用して性的欲求を満たしていたと認定しています。

にもかかわらず、刑事不起訴という事実は、「法的にはOKだった」という誤解の余地を生む。

学校がその誤解の中に逃げ込んでいるとすれば、それは教育機関としての誠実さを放棄しているとしか言いようがありません。

「刑事で罰金払って終わったんだから、あとは民事の話でしょ」という姿勢が透けて見えるとしたら、被害女性への二次加害と言っても過言ではないのではないかと、強く感じます。

ネットの批判と学校の沈黙が続く現状

小学館は2026年2月27日に編集部として謝罪声明を出し、翌28日には会社としての声明と調査委員会の立ち上げを発表しました。

日本漫画家協会も声明を出し、多くの漫画家が配信停止を宣言しました。

動いた人たちがいる中で、動かなかった場所がある。

北海道芸術高校の公式サイトと公式Xアカウントには、この事件についての言及が2026年3月時点でも一切存在しません。

ネット上での学校への批判は、マンガワン関連の批判と比べると圧倒的に少ない状況です。

「#北海道芸術高校」というハッシュタグはほとんど使われておらず、炎上の波が学校に届きにくい構造があります。

この差はなぜ生まれるのか。

一つは情報の「見えやすさ」の問題です。

小学館は上場企業であり、担当編集者がSNSで加害者とのランチを投稿し、別名義での連載再起用というわかりやすい「現在進行形の隠蔽」がありました。

スクリーンショットで拡散しやすい証拠があり、「今この瞬間も続いている問題」として受け取られやすかった。

一方、学校の放置は2016年〜2019年という過去の話で、判決によって「学校責任なし」という法的決着も出てしまっています。

「終わった話」として処理されやすい構造が、批判を薄める方向に働いています。

もう一つは学校の「見えにくさ」の問題です。

地方の小規模通信制私立高校は、社会的なプレッシャーに曝される機会が少ない。

在校生や卒業生がSNSで声を上げにくく、内部情報が外に出てきにくい。

教育委員会の監督も、私立学校には公立ほど強く及びません。

「他にも被害者がいるのでは」という声は、今もネット上で散発的に上がっています。

江野さんのnoteには「複数の生徒が相談していた」という記述がありますが、現時点で公式証拠による裏付けはなく、被害者側の主張として存在している段階です。

性被害の特性として、被害を認識するまでに平均7年以上かかるという調査データもあります。

もし他にも声を上げられずにいる方がいるとしたら、その方々がどこかのタイミングで誰かに話せる状況になってほしいという思いは、自然に湧いてくるものです。

今後注視すべきポイントがいくつかあります。

まず控訴審の動向です。

3月2日現在、栗田側は控訴の方針とも伝えられており、控訴審が始まれば相談放置の有無や学校の責任についても改めて争点になる可能性があります。

次に、内部告発の可能性です。

小学館への批判が続く中で、北海道芸術高校の元関係者や卒業生が新たに証言するケースも考えられます。

そして、教育行政の動きです。

3月2日現在、北海道教育委員会や文部科学省からの指導・調査発表も確認されていません。

通信制高校の安全管理体制に対する全国的な議論が広がるかどうかが、今後の鍵となりそうです。

学校が謝罪しない、調査しない、再発防止策を示さない。

その沈黙は「終わった話」ではなく、今もこの瞬間も続いている問題です。

被害女性は「誠心誠意の謝罪がほしかった」と言いました。

その言葉が届くべき場所に、まだ届いていない。

小学館への批判が続く傍らで、この事実もちゃんと覚えておきたいと思います。

被害女性の回復を心から願いながら、学校がいつか誠実な一歩を踏み出すことを、引き続き見守っていきたいと思います。

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