2月22日、大阪の街を舞台に繰り広げられた大阪マラソンで、ひとりのランナーが異様な存在感を放っていました。
顔から足先まで、全身に黒い丸いシールをびっしりと貼り付けた23歳の若者、吉田響選手です。
その数、なんと100枚以上。
ネット上では「虫みたい」「蓮コラみたいで気持ち悪い」という声から、「かっこいい」「何か意味があるのか?」という興味本位の声まで、さまざまな反応が飛び交いました。
X(旧Twitter)ではトレンド入りするほどの話題になったのですから、その視覚的なインパクトは相当なものだったと言えるでしょう。
ちなみにレース全体に目を向けると、優勝はジブチのイブラヒム・ハッサン選手が2:05:20の大会新記録、日本人トップは平林清澄選手の2:06:14で5位という結果でした。
そんな中、吉田選手は2:09:35で34位。
しかし気になるのは見た目だけではありません。
「あのテープ、ルール違反じゃないの?」「ドーピングみたいなものじゃないの?」という声も少なくなかったのです。
筋肉の動きを助け、神経の働きをスムーズにする——そんな効能が謳われているテープを100枚以上貼り、スタートラインに立つ。
それはフェアなのか。
そもそも、何のためにそこまで貼る必要があったのか。
この記事では、そのあたりの疑問を一つひとつ丁寧にほどいていきたいと思います。
目次
吉田響の黒テープ使用はルール違反?
テープをめぐるさまざまな疑問に答える前に、まずルールの話からしっかり整理しておきましょう。
競技規則の細かい部分は見落とされがちですが、今回の件を理解するうえでとても重要な土台になります。
競技規則における「テープ」の位置づけ
まず最初に結論から言ってしまうと、現時点では完全に「セーフ」です。
ルール違反にはなりません。
正直、100枚以上と聞いて「さすがにアウトでしょ」と思った方も多いのではないでしょうか。
でも、ちゃんとした根拠があるんです。
日本陸上競技連盟(JAAF)の競技規則では、選手が身体に貼るテープや医療用ケア用品については、基本的に使用を認めています。
ただし条件があって、無地のものであること、そして商品名やロゴが目立つ形で露出している場合は大会主催者の書面承認が必要とされています。
吉田選手が使用したファイテンのパワーテープは、直径約1センチの小さな丸いシール状のもの。
無地タイプが主流で、医療・ケア目的の補助具として市販されている製品です。
そのため、主催者の特別承認を必要とせず、規則上は問題なしと判断されたわけです。
実際、レース中もゴール後も、主催者側から吉田選手に対する違反指摘は一切ありませんでした。
世界陸連(World Athletics)のルールでも同様の扱いで、テーピングは「medical aids(医療援助)」として許可されており、性能を不当に高めるものは禁止されていますが、身体への貼付テープはその対象に含まれていません。
投てき競技では指に巻くテープにサイズ・色の制限があったり、リレー種目ではバトンゾーンのマーカーに規定があったりしますが、それらはあくまで種目ごとの特殊ルール。
マラソン競技で身体にテープを貼ることへの制限は、現在の規則には存在しないのです。
過去の事例と今後の規制の可能性
「でも、100枚は多すぎない?」という感覚は、多くの人が持つ素直な疑問だと思います。
箱根駅伝を見ていても、何枚かテープを貼った選手を目にすることはありますよね。
記事「箱根駅伝選手が貼っているテープ」でも、ファイテンのパワーテープがランナーに人気であることが紹介されており、その使用自体はまったく珍しいことではありません。
ただ、100枚以上というのは確かに異次元の量で、そこに注目が集まったのは無理もないでしょう。
ここで一つ、歴史的な前例として思い出してほしいのが、ナイキの厚底シューズ「Vaporfly」をめぐる騒動です。
2017年に登場したこのシューズは、カーボンプレートによる反発力でランナーのパフォーマンスを大幅に向上させ、記録更新ラッシュを引き起こしました。
当初はルール違反ではなかったものの、2020年に世界陸連がソール厚40mm以内という規制を設けることになりました。
テープも、もし「明らかに有利になる」という科学的根拠が積み重なれば、将来的に枚数制限や素材規制が入る可能性はゼロではないでしょう。
Xでは「来週の東京マラソンでテープ貼りまくったランナーが増えそう」という予測投稿も出回っていて、ちょっとした流行になるかもしれないと感じているのは私だけではないはずです。
ただ、いずれにせよそれは今後の話であり、2月22日の大阪マラソンにおける吉田選手の行為は、完全にルールの範囲内だったと言い切れます。
ファイテンのテープは技術ドーピング?
「ルール違反ではない」とわかったところで、次に気になるのが「技術ドーピング」という概念との関係です。
道具や技術の力でパフォーマンスを高めることがどこまで許されるのか、この問いはスポーツ界全体に突きつけられた難問でもあります。
WADAの禁止リストとチタンの関係
「技術ドーピング」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
薬物によるドーピングではなく、用具や技術の力でパフォーマンスを不正に高めることを指す概念で、先ほど触れたナイキの厚底シューズ問題を機に広く知られるようになりました。
では、ファイテンのパワーテープはこれに該当するのでしょうか。
WADA(世界アンチ・ドーピング機構)の禁止リストは、基本的に体内に摂取される物質を対象としています。
ステロイド、成長ホルモン、利尿剤など、血液や尿から検出されるものが規制の中心です。
2025年には、マラソン世界記録保持者のRuth Chepngetich選手がHCTZ(利尿剤の一種)で3年間の出場停止処分を受けた事例が話題になりましたが、これはまさに体内摂取による違反でした。
ファイテンのパワーテープに含まれるのは炭化チタンです。
皮膚の上に貼るだけで、成分が体内に入ることはありません。
当然ながらドーピング検査で陽性反応が出ることもなく、WADAの禁止リストに抵触しないのは明らかです。
科学的な根拠は「あり」とも「なし」とも言える
ファイテン社の説明によると、パワーテープに使われるアクアチタン技術は生体電流を整え、筋肉の緊張を和らげ、柔軟性を高めるとされています。
社内の調査では、脳卒中後遺症患者の83.8%が筋緊張の変化を認識し、ストレス負荷タスクにおいて集中力向上も確認されたとのこと。
特許も100件以上取得しており、まったくの根拠なしとは言えない面もあります。
一方で、PubMedなどの学術データベースを調べると、キネシオテープ全般の筋力向上効果については「プラセボ効果が主体」とする研究も少なくありません。
信じることで体が動きやすくなる——それ自体は決して侮れない効果なのですが、第三者が再現可能な科学的証明としては、まだ十分とは言えない段階なのかもしれません。
倫理的に見ればどうか
仮にテープに明確な効果があったとして、倫理的な問題は生じるのでしょうか。
パワーテープは700円程度から購入できる、比較的手軽にアクセスできる製品です。
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希少な素材でも高価な機材でもなく、その点ではフェアと言えるかもしれません。
ただ、「100枚貼れば効果的かもしれない」という発想を持てるかどうかは、情報格差という意味での不公平感につながる可能性はあります。
とはいえ、それを言い始めると、トレーニング方法や栄養管理の知識格差まで「不公平」ということになってしまいますから、現段階では規制の対象とはならないでしょう。
今の時点での評価としては、ドーピングでも技術ドーピングでもなく、「科学的には未確定の補助具」という位置づけが正確なところではないでしょうか。
吉田響はテープに頼るしかなかった苦労
なぜ吉田選手はここまでテープにこだわるのか。
その答えは、彼の競技人生の原点にある持病の存在を知ることで、はっきりと見えてくるような気がします。
ペルテス病という闘い
吉田選手は幼少期にペルテス病(Legg-Calvé-Perthes病)を患いました。
股関節にある大腿骨頭への血流が障害されることで骨壊死が起きる小児疾患で、主に4歳から8歳の男児に多く見られます。
原因はいまだ完全には解明されていません。
症状としては、股関節の痛みや跛行(びっこを引くような歩き方)が現れ、牽引や装具、場合によっては手術が必要になります。
吉田選手が発症したのは5歳頃とされており、歩けない時期が続き、外で遊ぶ子どもたちをただ眺めるしかなかったと言われています。
これは、正直、想像するだけで胸が痛くなる話です。
走れないからこそ、走ることに夢中になった
外遊びを制限された子ども時代を過ごした吉田選手が、回復後に没頭したのが走ることでした。
制限されていたからこそ、解放されたときの喜びは格別だったはずです。
中学で陸上部に入り、ジュニアオリンピック3000mで7位入賞。
高校(東海大付属静岡翔洋)では都道府県駅伝で活躍し、大学では東海大から創価大へ転籍するという異例の経歴を持ちながらも、箱根駅伝2区で日本人歴代最高記録を更新するまでに成長しました。
病気という壁を乗り越えてきた人間の底力、とでも言うべき話ではないでしょうか。
テープが「お守り」になった理由
ペルテス病を経験した選手にとって、股関節は常に気がかりな部位です。
長距離を走ることで受けるダメージが蓄積されれば、変形性股関節症への移行リスクもゼロではありません。
そんな背景の中で、ファイテンのテープは単なるパフォーマンス向上グッズではなく、身体を守るための「お守り」として機能していた面があると考えられます。
田中正道総監督が「朝6時に私の目の前で貼りました」と語ったエピソードからも、それが吉田選手にとってルーティンであり、精神的な安定をもたらす儀式のようなものだったことが伝わってくるでしょう。
顔にまで貼ったのも「顔のこわばりを和らげるため」という本人の言葉があり、25kmまでリラックスして走れたと振り返っています。
これほどの苦労を乗り越えてきた選手が、全身にテープを貼って初マラソンに挑む——傍目には奇妙に映っても、本人にとっては必然だったのかもしれません。
テープの効果と敗因の真相
パフォーマンス向上、病気との闘い、そしてルールの問題。
ここまで様々な角度から吉田選手とテープの関係を見てきましたが、最後に「では実際のレースでどうだったのか」という核心に迫っていきましょう。
何がテープの効果を上回ったのか
100枚以上のテープを貼ってレースに臨んだ吉田選手は、前半こそ圧巻の走りを見せました。
8km地点でペースメーカーを置き去りにし、30km時点では日本記録ペースを上回る快走。
しかし35km以降に失速し、最終記録は2:09:35の34位。
ゴール後は脱水症状で車椅子に乗せられ、救護室へと運ばれました。
引用 : デイリー
この失速の直接的な原因は、給水の失敗にあります。
レース中に給水を3度取れなかったと報告されており、吉田選手自身もX(旧Twitter)で「32km過ぎに低血糖と脱水」と振り返っています。
当日の大阪は、スタート時12度、ゴール時18度前後という、2月にしては予想外の暖かさでした。
湿度が低く乾燥していたことも、体感以上に水分が失われやすい条件だったと考えられます。
ファイテンのテープが神経・筋肉の柔軟性を高め、疲労軽減に貢献した面は確かにあったでしょう。
前半の積極的なレース展開がその証左とも言えます。
しかし、身体の外側に貼られた補助具が、内側で起きている水分・エネルギーの枯渇を防ぐ力はありません。
どれだけ筋肉の動きがスムーズでも、燃料がなければエンジンは止まる——当たり前のことですが、レースの極限状態ではそれが如実に出てしまうものです。
テープに頼ることの限界
マラソンという競技は、体力・技術・戦略・メンタル、そして当日のコンディション管理が複雑に絡み合う競技です。
テープが多少のアドバンテージをもたらすとしても、それはあくまでレースの大きな構造の中の一部に過ぎません。
吉田選手の場合、給水という基本的なレースマネジメントが崩れたことが敗因の核心だったのではないでしょうか。
初マラソンであることを考えると、給水のタイミングや身体の変化への対応が十分に準備できていなかった可能性は高いでしょう。
もちろん、それを責めるのは酷というものです。
35km以降に崩れながらも完走し、「やめてしまいたい気持ちも頭をよぎりましたが完走しました」「次こそは必ず勝ちます」とXに投稿した言葉には、ペルテス病から走ることに人生をかけてきた選手の覚悟がにじんでいます。
テープの是非を超えた先に見えるもの
今回の大阪マラソンでの吉田選手の姿は、さまざまな意味で考えさせられるものでした。
100枚以上のテープは、ルール違反でもなく、技術ドーピングでもなく、難病を乗り越えてきた選手が自分なりに積み上げてきた答えのひとつだったのだと思います。
科学的に証明されているかどうかはわからなくても、信じることが力になる場面はスポーツに限らず多くあります。
テープがプラセボだとしても、それが吉田選手のメンタルを支え、前半の積極走につながったなら、十分に意味のある選択だったとも言えるでしょう。
ただし、外側の補助具が内側の問題を解決することはできません。
次のレースで給水を完璧にこなし、日本記録への挑戦を続ける吉田選手の走りを、多くのファンが楽しみにしているはずです。
テープが100枚であろうと200枚であろうと、彼の本質的な強さは別のところにある——そんな気がしてなりません。
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